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音楽鑑賞のすすめ
オペラの見方、聴き方

音楽鑑賞のすすめオペラの見方、聴き方  監修:加藤 浩子(音楽評論家)

オペラ鑑賞のまえに

これはオペラのファンが、これからオペラを体験しようとなさる方へ、その探索の糸口として書いたもので、学術的な資料ではございません。 できるだけやさしく書きましたが、子どもさんは学校の先生やほご者の方に手伝ってもらってください。

Contents
オペラの特徴 オペラ劇場 オペラの歴史 オペラの種類 オペラの上演 オペラを創る人たち 舞台裏へ

1. オペラの特徴

日本語では「歌劇」と訳されているので想像がつくかもしれませんが、「オペラ」とは「歌で進められる劇」のことです。芝居は普通の会話のように話すせりふで物語が進みますが、オペラではせりふにメロディーがついているのです。場合によっては日常会話まで伴奏を伴う歌で表されるので、不自然で耳慣れない感覚におちいるかも知れません。

この会話の部分が歌ではなく会話で進められるオペラもあります。モーツァルトの有名なオペラ「魔笛(まてき)」がそのひとつで、ドイツ語でジングシュピール(歌芝居)と呼ばれます。

なぜせりふを歌うのか?

同じことを伝えるのに音楽がついているほうが表情豊かになったり、印象が強くなったりしますね。しかもその歌声がとても訓練されたものだけに、声そのものが魅力にもなります。また歌の部分だけでなく、オーケストラの奏(かな)でる音楽などが、登場人物の心の内を聞く人に伝える効果などもあるので、お芝居とはまた違った魅力あるものとなっているのです。

オペラはよく総合舞台芸術だと言われますが、それは音楽に加え、演劇(演出や演技)、文学(歌詞)、美術(舞台装置や照明、衣装)といったさまざまな要素が上手に合わさって作られているからなのです。ですから私たちは耳から音楽を楽しむだけでなく、歌手の衣裳、演技、そして舞台装置までもいっしょに楽しむことができるのです。ですからオペラは、その形式に慣れれば慣れるほど、知れば知るほど楽しいものとなるでしょう。


2. オペラ劇場

それでは、オペラを上演するホールの特徴にふれたいと思います。
日本にも国立のオペラ専用の劇場ができましたが、コンサートに使うホールでオペラを上演することもよくあります。
それでは、オペラを上演するために必要な劇場の特徴を説明してみます。

舞台の奥にも大きな空間がある。

コンサートホールでは、反響板(はんきょうばん)という、音や声を美しく客席にはね返す装置を使いますが、オペラのときはそれを取り払った奥に大きな空間が必要です。それは大きな舞台装置を持ち込んだり、舞台の奥から演技する人が登場したりするためです。本格的なオペラ劇場は、お客様から見える舞台の奥や左右に何倍も広い空間を持っていて、場面転換などで、舞台上の建物をそっくり入れ替えてしまうことができます。
反響板のない舞台で歌う歌手は、良く通る美しい声で歌うことが求められます。

舞台と客席の間にくぼんだ場所がある。

オペラでは舞台の上の演技が良く見えるようにするためと、歌手の声の響きがオーケストラの大音量に分断されてしまわないよう、舞台からいちだん低くなった場所にオーケストラを置きます。これをオーケストラ・ピットと呼び、オペラ上演になくてはならない劇場の機能です。

オーケストラの演奏会では、指揮者の動きが主役のように目に入りますが、オーケストラがピットに入ってしまうと、指揮者の動きはお客様からはよく見えません。できるだけ演技と歌唱に集中してもらうためです。

舞台から見ると客席が狭い。

伝統的なオペラ劇場は上から見るとほぼ円形で、客席もあまり奥行きがなく、その分お客様を壁面に張り出したバルコニー席などにご案内できるようになっています。この方が3階、4階席でも舞台が良く見え、マイクロフォンを使わない歌手の声がとどきやすい利点があります。

外とはちがう世界を作ります。

舞台の照明効果を出すために、客席はほぼ真っ暗になります。映画館と同じですね。そのためオーケストラの奏者は、舞台のじゃまにならない小さなライトで楽譜を照らします。コンサートのような音楽を楽しむ催しでは外部の音をシャットアウトしなければなりませんので、演奏中は劇場への出入りはできません。オペラの上演には特にこうした暗やみが必要ですので、光の入るとびらの開け閉は、幕の合間以外には行いません。

もし交通機関がおくれて開演に間に合わなかった場合は、一幕が終わるまで、席につくことはできません。その間はロビーに置かれたテレビ画面で観劇をすることになります。

舞台に幕がある。

オペラはふつう、いくつかの「幕」で構成されていて、それぞれの幕が終わるたびに、舞台の「幕」も下ります。この「幕」がないと、幕間に場面転換のためにやっている色々なこと〜死人が起き上がったり、係りの人が装置を運んだり、ハンマーを振るったり〜が見えてしまいます。ですから、本格的なオペラ上演を行う会場には、「幕」があることが必要です。

「幕」がないと、終演後のカーテンコールもやりにくくなります。カーテンコールとは、終演後に幕があがり、出演者が揃って拍手を受けることで、オペラ上演が成功したかどうかが分かるスリリングな瞬間です。カーテンコールには「オペラ幕」と呼ばれる形態もあり、その場合は幕を上げずにその合わせ目から出演者が一人ずつ現れて、拍手にこたえます。素晴らしかった歌手には、「ブラヴォー」と掛け声がかかることがあります。素晴らしい演奏だったと思ったら、ぜひ「ブラヴォー」と声をかけてみましょう。ちなみに「ブラヴォー」とはイタリア語で、正確には、男性には「ブラヴォー」、女性には「ブラーヴァ」、複数の出演者には「ブラービィ」というふうに、語尾が変化するのですが、実際にはイタリア以外の国では、男女問わず「ブラヴォー」と叫んでいるのがふつうです。

東京芸術劇場やサントリーホールなど、コンサートの専用会場には幕がありませんので、ここでオペラを取り上げる場合、オーケストラや歌手が舞台の上に乗って演奏する、コンサート形式とかホールオペラなどと呼ばれる形になります。演技はほとんどつけず、音楽が中心になるのが一般的です。

字幕の用意がある。

オペラにはイタリア語、ドイツ語、フランス語などさまざまな言語で歌われる作品がたくさんあります。オペラは何を歌っているかが分からないと聴き続けることがむずかしいので、最近は舞台の上方や横に日本語に訳した字幕を出し、歌手は、オペラが書かれた言葉で歌うことが一般的です。

観客が歌詞を理解できるよう、日本語で上演される場合もありますが、作曲者が想定した言語の響き方やアクセントを変えて歌うことは大変難しく、歌手たちは語学を勉強して、台本に書かれた言語で歌うことが多いのです。日本語オペラの場合も、音楽に乗せるとどうしてもせりふが聞き取りにくくなるため、ほとんどの場合、日本語の字幕がつきます。

そういう歌手の苦労を少しでも軽減するため、次に何を歌うかをそっと教える役が用意されることがあります。プロンプターといって、正確に曲の進行を追い、歌手が歌う直前の言葉を伝える役目を果たすのですが、大きな舞台の脇からではそっと教えることはできません。さて、どこから伝えているのでしょうか?

劇場に行ったら、舞台の一番前に黒い箱があるかどうか、探してみてください。そこが、プロンプターが待機しているプロンプターボックスです。

跳んだりはねたりできる床がある。

オペラでは、戦いの場面、舞踏会の場面など、大勢が登場するシーンがあったり、バレエが入る作品もあるので、そのような負担をかけても大丈夫な床になっていることも必要です。


3. オペラの歴史

オペラ=全体が作曲された劇、は約400年前の16世紀末、ルネサンス期のイタリアで生まれました。フィレンツェの貴族や芸術家が古代ギリシャで演じられた悲劇を復活させようとして始めたのがオペラのはじまりです。当時のイタリアは都市を中心にしたいくつもの国の集まりになっており、フィレンツェの動きは他の都市の貴族を刺激し、オペラが広まりはじめました。当初は貴族階級の娯楽だったオペラですが、地中海貿易などで商人が力を持っていたヴェネツィアで、入場料を払えば誰でも入れる公開のオペラ劇場がオープンすると、オペラの人気は一挙に高まります。イタリアの音楽家たちは、オペラを武器にヨーロッパ諸国に活躍の場を広げて行きました。各地にできたオペラ劇場は観客を多く呼ぶために舞台に工夫をこらしたり、人気のある歌手を招くようになります。当時は劇場の桟敷席(さじきせき)はシーズンごとに貸し切るシステムになっており、桟敷席を手に入れた貴族や金持ちは、劇場内の別宅のように、開演前から桟敷席に陣取り、食べたり飲んだりしたり、おしゃべりをして楽しみました。上演中もそんな感じだったようです。

教養ある貴族層が産み出したオペラは、はじめのころは神話や古代の歴史が題材になっていました(オペラ・セリア)。しかし18世紀頃からは、同時代の貴族や市民を描いた喜劇的なオペラが好まれるようになります(オペラ・ブッファ)。モーツアルトの「フィガロの結婚」はこのジャンルの名作です。

イタリアは「声」の国だったため、声やメロディの美しさ、そして声のテクニックを披露する「ベルカント」という歌唱法が発達しました。とくに19世紀の初め頃までは、装飾や即興のようなテクニックが重視され、声の饗宴(きょうえん)のようなオペラが中心でした。しかしヴェルディ(1813-1901)の登場により、イタリアのオペラは声による「ドラマ」へと姿を変えます。歌や音楽が、ドラマに結びつき、人物の感情を表現するようになったのです。後に続いたプッチーニ(1858-1924)は、より大衆的なメロドラマと美しい音楽で絶大な人気を獲得しました。

イタリア・オペラはヨーロッパ諸国でも人気でしたが、18世紀の末にフランス革命が起こって各国にナショナリズムが芽生えると、自国語によるオペラが作られるようになります。また自国の作曲家のオペラを上演する動きがでてきました。ドイツでは、オーケストラ音楽が発展したので、オーケストラが中心のオペラが生まれます。ドイツの森を舞台にし、内容的にも音楽的にもドイツ・オペラらしい作品の第1号は、ウエーバー(1786-1826)の「魔弾の射手(まだんのしゃしゅ)」でした。19世紀後半にはワーグナー(1813-1883)が登場し、ドイツや北欧の伝説や神話を題材に、大規模なオーケストラを駆使(くし)した壮大なオペラを残しました。その後の世代では、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が多くの名作を残しています。

フランスでは、オペラは独自の発展を遂(と)げます。イタリア・オペラが好まれず、17世紀に、フランス語によるオペラが生まれたのです。フランスではバレエが好まれていたため、フランス・オペラは誕生当初からバレエが売り物でした。フランス革命を経た19世紀には、貴族に代わってオペラの観客となった市民階級のために、壮大でスペクタクルな歴史ドラマが生まれました(グランド・オペラ)。ここでも、バレエの場面は必須でした。一方で19世紀の後半には、ビゼーの「カルメン」のようなリアリスティックなオペラも作曲されています。

ロシアでは、長い間、イタリアからの演奏家や作曲家を招いて、宮廷でイタリア・オペラが上演されていました。19世紀の半ば頃になると、ここでも自国のオペラを創作する気運が生まれ、ロシアの歴史を題材にしたムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」が生まれます。後に続くチャイコフスキーは、「エフゲニー・オネーギン」など、ロシア文学に題材を得た美しいオペラを作曲しました。

20世紀に入ると、新大陸アメリカでも、ガーシュウィンの「ポーギーとベス」という、アメリカで発達したジャズ音楽を使ったオペラが初演されました。この頃日本でもはじめてオペラが作曲され、近年では團伊玖磨(だんいくま)の「夕鶴」をはじめ、日本の文化として海外で上演される作品も生まれています。


4. オペラの種類

これからオペラに親しむ人のために、各国で発達したオペラの種類をご紹介します。


5. オペラの上演

前に述べたとおりオペラはイタリアで生まれ、ヨーロッパ各地に広がったものです。同じ頃日本では歌舞伎(かぶき)が生まれています。歌舞伎が庶民文化のひとつとして育ったのに対し、オペラはときの権力者が自分の威光(いこう)を見せつけたり、儀式に利用するなどの目的もありました。まただんだんはなやかさを増し、人が集まる場になったとき、そこは社交の場ともなりました。貴族文化の全盛期には劇場を持つ王族が、全てのバルコニー席が見渡せる場に座り、お客様をもてなしたり、だれがだれと来ているかなどに関心を示すこともあったようで、一階席はご主人さまを待つ馬丁さんなどがたむろしている広場だったそうです。今でも平土間(ひらどま)席という名前が残ります。

電気がなく照明装置も未発達ではあきてしまう人も多かったでしょう。それに冷暖房もありませんでしたから、当時オペラを聴いてもらうのは大変だったと言い伝えられております。古い劇場では舞台のよく見えない席もあるのですから。来場者の楽しみもそれぞれだったのでしょう。休憩が長いのはトイレに並ぶとか舞台装置の入替えが電動ではなかっただけはでなく、グラスをあげて食事を楽しむためでもあったようです。

フランスに起った市民革命はそんな特権階級の社交の場を総合芸術の世界へと変える原動力となったと同時に、オペラを維持する膨大(ぼうだい)な費用を負担できる新しい市民勢力のものとなりました。平土間はダンスもできる会場となり、バルコニー席のお客様の目を楽しませる高価な衣装を身に着けた紳士淑女の席に変ぼうしました。

このようにその時代の大きな力に寄りそいながら生きて来たのがオペラですが、今ヨーロッパでは国立劇場として、その国の文化の威信(いしん)を誇る形で運営されている訳です。オペラ劇場を持っているかどうか?それはその国や地域の人々の芸術文化を大切にする気持ちの表れとされます。

その一方で市民オペラという世界があります。身近なところで芸術家やオペラを演じたい人の思いを自由に表現する自己責任型のオペラで、地域の支援者がそれを支える時代に入って参りました。現代のオペラを守る主権者は、市民の一人ひとりということになるのでしょうか。

このように主催者に左右されがちなオペラ作品ですが、今に残っているものは、例えば出資者である貴族をからかう台本でありながら、それを上回る芸術の力を持って時代を乗り越えた、モーツァルトの「フィガロの結婚」に代表されるような曲だと思われます。オペラそしてクラシックの魅力の一つは、そうした大きく変わる時流に屈しない魅力を味わえることにあろうかと思われます。


6. オペラを創る人たち

指揮者、オーケストラ、歌手、合唱団

オペラは歌(ソリストと合唱)と楽器の演奏(オーケストラ)で物語が進行します。その全体を指揮し、リードするのが指揮者です。

演出家・スタッフ

演出家は、オペラの演劇面での責任者です。公演の1年くらい前に舞台のコンセプトを示し、稽古が始まれば、歌手や合唱団を演技の面から指導します。この他にも、舞台装置、衣裳、照明などの係、出演者、演奏者、さらには舞台裏で活躍する大道具、小道具係など、さまざまな分野の多数のスタッフが力を合わせて、オペラの舞台を創り上げているのです。


7. 舞台裏へ

みなさんが客席から見ているのは舞台のほんの一部です。ステージの裏へ回ってみましょう。

客席から見て舞台の右側を「上手(かみて)」左側を「下手(しもて)」と言います。客席から見えない上手、下手の舞台を舞台袖と呼んでいます。ステージの下には奈落(ならく)と呼ばれる部屋があり、ステージとはセリと呼ばれる壁のないエレベーターで繋がっています。これは舞台装置を運んだり、歌手が突然現れる演出などに使われます。

上を見上げると、背景幕や照明との組合せで不思議な効果を出す紗幕(しゃまく)、雪を降らせる籠(かご)などの吊り物も見えます。また前方から目を射る強いスポットライトが点滅されます。真上から照らされる照明の梁(はり)には、黒い服を身にまとった人が上がっているはずです。

幕の上がる直前まで、照明チームは演出家の意欲を実現し、演奏しやすいように調整します。

大劇場では、舞台の奥に第二幕で使用するお城などが既にセットされ、電動で入れ替わるようになっています。これを回り舞台と呼びます。

ここで、オペラのできた頃を思い浮かべてみましょう。

電気はなく、蝋燭(ろうそく)の灯りを工夫して照明効果を出し、空調もなかったので、ヨーロッパでのオペラシーズンは夏場を避けました。嫌煙権(けんえんけん)などもなく、劇場内はよほどの事がないと長時間滞在するのは大変な環境だったと思われます。現代は、照明は自動制御され、舞台の入れ替えが電動化されて、観る者をいらいらさせないなどの他、空気も快適な空間でオペラを鑑賞することができるので、一層作品の素晴らしさに集中できる訳です。私たちは良い時代に生まれましたね。

さて下手の袖では小道具係が台車に乗せた椅子やテーブルを運んでいます。その周りでは大道具係が柱を組み上げたり、次の場面のセットを運んだりしています。衣裳係は舞台化粧を終えた歌手に上着を着せ、舞台監督はタイムテーブルを片手に歌手の持ち物を点検させています。またもうすぐ出番の歌手を袖に呼んでいます。

上手の袖では背景幕などの「吊り物」を上下する準備をしています。大道具係が本物そっくりの邸宅を舞台に押し出しています。上の方にはライトをあてている照明係が最後の確認をとっています。

オーケストラ・ピットには既に奏者が入り、楽器のチューニングをめいめいにしています。

主催者から舞台監督に電話が入ります。「定刻開演してください」の合図です。

指揮者が楽屋から呼ばれ、ステージ下のオーケストラ・ピットの入り口に進みます。

照明係が指揮者の入場を追うスポットライトに手を掛けます。客席の照明が完全に消え、全てのドアが閉まると、いよいよ開演です。

このように舞台裏では多くのスタッフが働いています。オペラの公演は、このように多くの人々の努力によって創り上げられます。オペラが総合舞台芸術だと言われているわけが、これでお分かりいただけましたでしょうか。